O2観察記

何でも略せばいいってもんじゃねーぞ

自スレで見るコテ史―俺の独り言スレを中心に―

前置き

御堂関白記小右記玉葉、明月記*1、はたまたベルツのそれに至るまで、執筆者たちの思惑は置いておくとして、けだし実際にその時代を生きた人々の熱い息遣いを伝えてやまないのが日記というものである。

その一方で、日本には日記文学という文学ジャンルも存在する。すなわち蜻蛉日記紫式部日記*2更級日記などに代表される、記述に内面的な深みをもち、あるていど回顧録的な性格を備えた文学である。これらからは熱を帯びた息遣いというより、どこか寂寂とした省察のため息を感じるところだが、ともかくも、さきほどの明月記などの日記の類は文字どおり日々の正確な記録を旨としていたので、ひとまずこの点において、一般的な日記と、日記文学とは異なるものであるといえよう。


ここで私から一つの疑問を提示したい。
というのは日記と日記文学との折衷*3は、今現在にいたるまで試みられてこなかったのか、という問いである。
そして私はみなさまがたに代わってこの問いに答えたい。
すなわちコテの自スレこそ日記と日記文学とが折衷されたカタチなのである。

なんでか。よく思い返していただきたいのだが、言ってみればコテの自スレとは日記帳である。身の上*4に起こったとりとめのない出来事を気ままに書きつけるデジタルなダイアリーである。
しかしその一方でコテの自スレとは交流の場である。他人の存在というものはみずからを客観視するのにうってつけの触媒でありきっかけである。
すなわち、コテの自スレとは記録的な日記と省察的な日記文学、これらふたつの特徴をあわせ持ちうる場所なのである!

 

>え、ちょっと待って。それってコテに限ったことでもないし自スレに限ったことでもなくない?

>名無しでもそうだしTwitterでもそうじゃん笑 現場からは以上です笑

 

は?*5
あくまで私の考えだが、どうも自スレとTwitterとは毛色が違うようである。自スレにはどこか閉鎖的な感じがあり、Twitterにはより開かれているという感がある。
この感覚は匿名掲示板とSNSとの本質的な違いに起因しているはずだが、ひとまずそういう立ち入ったことは置いておくとして、私はここで、匿名掲示板のスレッドという形式にはどこか伝統的な日記らしさがある、というひとつの印象論を提示するにとどめる。
すなわち、上から下へと一方通行であり、書き込み数の上限が決まっていること、これらのことと日記とに私は尋常ならざるアナロジーを感じるのである。

それでもってもうひとつ、「コテに限ったことでもない」ということについてだが、言ってしまえば自スレを持っているような名無しはもはやコテと同義である。名誉コテである。
そこには自己を他人と差別化しようという意志が明確だったかそうでなかったかの違いがあるだけで、結果として継続的に自分が自分であると他者から認知されているようであれば、その名無しはすでに本質的にはコテなのだ。これがいわゆる半コテというやつである。

したがって繰り返しになるが私は、コテの自スレこそ日記と日記文学とが折衷されたカタチであると思うし、当然、これこそが、日記の特徴である正確な記録性と、日記文学の特徴である内面の描写の生生しさとを兼ね備えうる、ほとんど唯一といっていい場所であると信ずる*6
ということは、である。おーぷん2ちゃんねる各地に散らばるコテの自スレを相互に関連づけてひとつにまとめあげようものなら、さぞかし正確で彩り豊かなコテの歴史というものが紡ぎ出されるにちがいない。

言ってしまえば、これまでのコテの歴史のまとめは叙事的すぎ、あるいは叙情的すぎるきらいがあった。というのは編纂者が、騒動が起こったスレやその動向ばかりを注視するように努めていたから、はたまた自らの個人的な印象に寄りかかりすぎていたからであろう。しかしこれには、とくに後者には仕方のない面もある。
なぜならコテ界隈という狭い世界の性質上、歴史の編纂者はそっくりそのまま騒動の体感者であったから*7である。これでは印象に真実が歪められるのもやむをえまい。
そこで今回、私はひとつの自スレを中心として各自スレを紐づけつつ、これをもってコテの歴史を見ていくことにした。
そのスレッドとは、一時期ROMコテ*8なるコテたちの一大根拠地であった「俺の独り言スレ」である。また他にもゴッドブレス、オロナミン、ピメント、フメノール、いわしぼ、オナライチ芹沢、バラモス、サボテン、らんらん、瞬発力、天才イケメン、冒頓単于、殺戮に至るにゃんこ、トイレの中にはわいがいる、反発力、安富パーキングなど*9、数多くのコテの自スレを参考にしてコテ界隈を見ていこうと思う*10

それはさておき

以上が前説で、ここからがようやく本題である。このように長ったらしく気分に任せて述べられたような口上はひとまず忘れておくに越したことはない。
げんに私も、あの熱意のこもったスレイマンの長文なんぞはほとんど記憶にないのだから悲しいかな、人とはそういうものなのである。

さて*11、俺の独り言スレを通してコテの歴史を見ていくにあたり、ひとつ言っておくべきことがある。
というのは当該スレが独り言という形式を取っているために、何かと曖昧な書き込みが多く*12、さらには自スレをまたいで会話するなどという荒業までたびたびなされているため、一つ一つの書き込みをきちんと読み取っていくのにとんでもない手間がかかるということだ。
たとえば今みなさまがたが「俺の独り言スレ」を読み返してみたとして、なんのこっちゃという部分が必ず出てくる。独り言スレ研究の第一人者を自負する私でさえしばしば訳わからなくなる始末なのだから絶対にひとつやふたつ出てくるはずである。そういう箇所を、なんとか私が独り言スレに関わる記憶を留めているうちに正しておきたいというのが、私が今回かかる仕事をおこなおうと思った主たる理由である*13

俺の独り言スレ3

それではまず俺の独り言スレ3を見ていくことにする*14。期間は2015/06/14(日)~2015/07/06(月)。

 

 

*1:儀式典礼故実を継承する第一義があった一方で

*2:彰子の出産記録の性格が強い一方で

*3:日記文学それ自体がノンフィクション(日記)とフィクション(小説)がないまぜになったものだろというもっともな指摘はNG

*4:コテとしての

*5:これ立派なロジハラだろ

*6:話半分定期

*7:前者はすなわち客観的であろうとしすぎたがゆえの味気なさ

*8:ROMコテに関しては別記事参照

*9:たぶんまだ大勢いる

*10:以上の文章ではたしていくつの「すなわち」が酷使されたでしょうか、回答を述べよ

*11:四十分ぐらい話そうかな

*12:戦犯は云々の多用

*13:ネンドールネンドールによるネンドールのためのコテ史でもある

*14:ちょっとここ消えてますね