O2観察記

何でも略せばいいってもんじゃねーぞ

ラノベの感想とコテ界隈を紐付ける作業の過程

感想早く書けよ

ある作家は、書き手は読み手に信用されねばならないと説いた。そしてその信用とは、作者が視野を広く持つことによって獲得されるものだとも。

話の展開やキャラクターの造形などに目を配ること、すなわち、それらに矛盾がないか、作品を貫く論理がブレていないか、ということに神経を尖らせつつ筆を運んでいかないことには、信用は得られないようなのだ。得られなければ放り投げられるだけ、あるいは、わざわざ金を出したのだからと惰性でページを繰られるのがやっと。

それに対して、むせ返るようなフィクション臭を嫌ったり、どうも主人公の単純な性格が気に入らなかったり、ヒロインのあざとさに辟易したりといった理由による「放り投げ」には、まだ希望がある。なぜかと言うと、それは作者自身への不信感に起因するものではないからだ。敬遠の動機はあくまで作品内部に留まっている。これが作品を飛び出して、本来は作品世界と関わりのないメタ的な存在であるはずの作者に及んだときが厄介なのだ。

だから、ユーモアセンスの欠如も、しみったれた筆致も、散りばめられた虚飾も大いにけっこう。書き手への不信の念を抱かせるもの、すなわち視野の矮小さという大悪党の前にあっては、そいつら小悪党が犯した罪なんて微々たるものなのだし、むしろこれを殊更に罰するような奴こそ、断罪されて然るべきだ。

ちなみに言うが、もちろんわたしは、これが危険な開き直りと捉えられかねないことは認識しているし、その上で書くのである。あるいは、以降わたしが以上記の小悪党三人衆のいずれかの轍を踏んでしまうような場合に備えて、事前に言い訳の文言を弄しているとお思いだろうか。……なるほど、そういう考えもあるのだなあ、非常に参考になりました。

そうなんだ

さて、ここまで長々と前置きをしたのには訳がある。わたしはこれから『キミ黒』なるライトノベルの感想をべらべら述べていくのだが、その前提として上記の色々を踏まえておいてほしかったのだ。結論から言えばわたしはこのラノベを存分には楽しめなかった。けれどもそれは断じて作者に対する不信ゆえではなく、小説内のキャラクターや話の運び方に起因するものである――そうであったに違いない。

となれば、わたしはこれから、先述したような、小悪党をいちいち断罪する裁判官になってしまわないとも言えないわけで、なるほど、そうなればこれほど見事なブーメランはあるまい、ほとほと自嘲するほかない事態に陥ってしまうわけだが、しかし、すこし自己弁護しておくとするならば、わたしがあえて非難したのは、作品の不出来を作者の人となりの不出来とみなすもの、すなわち小悪党を大悪党に仕立て上げてしまう審判者の卑劣さであり、小悪党を小悪党のまま批評する、小憎らしいがある種賢明な法官のその態度を云々したつもりはない。今後わたしは必要に応じて後者となるかもしれないが、前者と化さないように重々注意していく気でいるので、まあ、とりあえずはその拳を下ろしていただきたい。

脱線ばっかじゃん

またまた長くなった。さて、ここからは肩の力を抜いていただいてけっこうでございます。見知らぬ抽象論で満載の重荷は一旦下ろして、傍らに咲く草花でも見ながらティーパーティーと洒落込みましょう。おや、この花の名前は何でしょうね……なるほど、『キミのこと黒歴史もまとめて……ぜーんぶ大好きだよ』。

わたしはまずこの小説の新奇な題材に興味を持った。試しにamazonの内容紹介を抜粋すると、

 「確か『リファレンス』って名前を使って、ネット上で論争を繰り広げてたよね! 
あの頃はわたしも掲示板で暴れていたから……いっしょだね」

血湧き肉躍る一文である。知っての通りわたしは掲示板でコテを六年半以上やっているので、コテを題材にした小説には目がない。といってもそういう小説にお目にかかったのは今回が初めてだが。不勉強を恥じつつ思うに、出版社はもっとこの手のニッチな需要に敏感であるべきだ。ラノベは初版で3000部も売れれば上々だとさっきネットで知ったが、わたしは鑑賞用、保存用、予備、予備、予備で5冊ほど買うことにやぶさかでないし、なんなら他のコテに薦めもする。コテの間で連鎖が続いていくとすれば、なに、3000冊ぐらい余裕だろう。

ところで、わたしはラノベなるものに縁がない。読んだものとしてはキミ黒で通算二作目である。一作目はゼロ年代に刊行されていたもので、名作の誉れ高い「イリヤの空、UFOの夏」だが、これは2巻か3巻の途中で読みさしてしまった。――と書いてから、じつは、昨日一つ前の句点を打ち終えたあと、もう夜も遅かったからいそいそと床に就き、明くる日、つまり今日、なんとなく思い出しついでに2巻を開いてみたら存外面白くて、ものの見事にあとがきまで読み尽くしてしまったのです、と言おうものなら呆れられるかもしれない。二つ前の句点のときには『わたしの精神性はラノベ全体の雰囲気にそぐわないのかもしれない』と威儀たっぷりに論を起こして、それから色々やったあと、さらに威風堂々『かかる雰囲気を楽しめるものこそがコテ文化を最も楽しめるものであるのであるのである』云々と結ぼうと思っていたのだが、どれもこれも後の祭り、水の泡と消えたわけだ。とはいえ、ラノベのrの字も知らないような人間が無遠慮にも『雰囲気が無理』などと戯言をのたまっていたなら、これもまた呆れられていたに違いないわけで、ややもすればこの方がわたしに向けられていたであろう辟易の程度は深かったかもしれない。なるほどそう考えれば――いや、ちなみに言うが、以上の一連の文章が、得てしてラノベというものをどこか軽薄なものとして侮っていたことに対する申し開き、もっと言えば反省文となることをわたしは認める。「キミ黒」の感想の本筋に入る前に、かかる先入観を曲がりなりにも吐き出しておくことが必要だと思ったわけである。

ティーパーティーとは何だったのか 

さて、ようやく感想の段に行き着きました。