O2観察記

何でも略せばいいってもんじゃねーぞ

メモ(コテハンキャラクターぶんるい)

コテ界隈には多種多様の、キャラクターを備えたコテハンがつねに犇めいている。馴れ合いに興じるコテハンも存在していれば、煽りに花を咲かせるコテハン*1も存在しているし、馴れ合いと煽りの両方を同時に楽しむコテハンもまた存在している。

あくまで仮に、「馴れ合い」一辺倒のコテハン、「煽り」一辺倒のコテハン、そして「馴れ合い」と「煽り」をそれぞれ同程度行うコテハンが存在しているとする。(活動の頻度はすべて同じものとする。)

コテハンの究極目的は「(自己顕示)欲を満たすこと」であるから*2、この究極目的に照らし合わせたとき、一体どのコテが最も「(自己顕示)欲」を満たせるものだろうか?そして、コテハンを付けるにあたって、どのような成分を多く含めたキャラクターを創造していけば、「(自己顕示)欲」をその分より満たせるに至るのだろうか?はたまた、コテハン個人がどう試行錯誤しようが、結局は掲示板の大多数を占める名無しが重要になってくるので、それは無駄ということになるのだろうか?*3

*1:これらは、必ずしも、コテハンのキャラクターという観点から見た際には、逆、反対の系統のコテハンとされるわけではない。逆、反対の系統のコテハンとしてこれらのコテをみたとき、たとえば馴れ合いコテハンを、「雑談に興じるコテハン」だとして、本来の「馴れ合い」の定義である「利害を共にする同士が結託して、通常取るべきとされる手続きを踏まず、暗黙の合意の元に意思決定を行うこと」、すなわち「暗黙の合意が図れるような環境において(またはそのような環境を別に設けて)雑談をするコテハン」としないのであれば、それに対する煽りコテハンは、「雑談に興じるコテハン」の逆、「煽りに興じるコテハン」ということになる。だがしかしそれぞれのコテハンは、これら表面上しかなぞっていないように感じられる設定に、完全に即しているはずがない。では、馴れ合いコテハンを「暗黙の合意が図れるような環境において(またはそのような環境を別に設けて)雑談をするコテハン」とするのであれば、それに対する煽りコテハンは「暗黙の――環境になく、(別に設けることもなく)煽りを行うコテハン」ということになる。しかしこのようなことに純然なコテハンがはたして存在し得るのだろうか?もちろん「馴れ合い」の対義、「緊張感を保った・殺伐とした関係」において雑談をしているコテハンは、その意味からして、「馴れ合いコテハン」とは見做されないだろう。しかし?それで「煽りコテハン」と認められるかというと――「馴れ合い」と「煽り」は反対の関係になく、むしろ全然別系統にある。漠然とこれらの系統にコテハンを所属させ、「そのコテハンたちを対義のものとして捉えること」は避けた方が良いようにも思える。ここではあくまで「興じる」「花を咲かせる」とした。

*2:2chコテハンWikipedia的存在であるVikipediaの一記事に、コテを付ける意味、と題されたものがあり、そこには「コテハンは一種のしおりである」、とするコテハンしおり説が記されている。これはおーぷん2chにおいて散見される、「自分の書き込みの質を高めていくため」とか「自分の書き込みに責任を持つため」とかいう主張に類似したものであり、様々な匿名掲示板においてこれらの主張は為されてきたものと考えられる。これもやはり一説として尊重されるべきものである。だが、多種多様のコテハンに――「ネタコテの場合、自分が立てた過去の糞スレを探して結果考証する必要」のあること、そして「煽りコテ同士の煽り合いの場では、トリップやコテハン名で過去ログを掘り起こし、矛盾や弱点をあぶり出す必要」のあること――このような必要があるのは何故なのだろうか?それは彼らが「ネタコテ」または「煽りコテ」として存在していくために他ならない。では何故彼らは「ネタコテ」または「煽りコテ」として存在していかなくてはならないのか?それは彼らが――――。よって、ここでは一応、「究極目的」として「欲を満たすこと」と設定した。

コテハンしおり説は、「固定ハンドル」という機能自体がどのような働きを見せるかということ、そしてこの「働き」によって「名無し」が不快感を覚える理由について、明快に説明している。(あくまで想像だが、コテハンに対して覚える不快感において、名無しには、「コテハン機能」、およびそれを見かけた際に瞬間的に思う不快感と、次に思う「コテハンを付けている一個人」の、その人間性について覚える不快感の、おおよそ二種類があるように思える。これらの不快感は一緒のものであるのかもしれないが、あくまで想像。)だが、『「固定ハンドル」を付けている一個人』に「名無し」が不快感を覚える理由についての説明は果たせていないように思える。大勢の人間が使う図書館の本にしおりが挟まっていたら――――もちろん利用者はまず、「しおりが挟まっている」という事象に対して不快に感じることだろう。しかしその次の瞬間には――「しおりを挟んだ人」に対してもまた、不快に感じることだろう。……その不快感の程度が、「しおりが挟まっている」という事象に比較して高いものなのか、はたまた低いものなのかということについては、さておき。

*3:おそらくは、名無しが重要なものとして認められるようなコテ界隈である方が良いように思われる。名無しが重要でないということはすなわちコテのみの閉鎖的な界隈において、界隈の持続を図っていかなければならない、ということであり、それには様々な弊害を伴うだろうから。多少短期的な刺激を名無しがもたらそうと、それを許容してコテ界隈側にその名無しを引き込むぐらいの器量がコテ界隈にあっても良いのではないか。刺激の程度にもよるが。