O2観察記

何でも略せばいいってもんじゃねーぞ

コテ界隈について 1

帰属意識の高まりと現状

はじめに

『コテ界隈』という言葉の初出は確かではない。全文検索に掛ければ2015年の9月9日が最古ではある。*1
しかしこの普遍的な言葉がそれ以前に使用されていなかったとは考え難い。だが無理を承知して、上記書き込みを初出と仮定するならば、これは大変興味深い事例である。
上記書き込みは2chコテによって成されたものだからだ。
それも、掲示板を無理に股にかけて、2chにおいてもこちらにおいても生半可なコテと化しているようなコテの書き込みなのではなく、コテ活動において何の混じり気もない、いわば純粋な2chコテの書き込みである。

本題

『コテ界隈』という言葉、もとい概念が持ち込まれたものであるにしても、そうではないにしても、
それが頻繁に使用されるようになって定着したのが比較的最近の(15年下半期)ことであるということは事実である。
何故初出に至るまでの日々の中で、コテたちはその概念を構築することができなかったのだろうか。以下に説を挙げる。

  • 長らく個人あるいは比較的小規模な軍団単位での活動が本位だったから。

コテ雑が広く普及した試しもなければ長期的に続いた試しもなく、小さな世界の中において活動を続けていた当時のコテ達にとっては、
自らの属している界隈といえばその世界のことを指すだけなので、それより枠組みを拡大してコテという属性自体に共通点を見出し帰属意識を持つことは不可能だったということ。

背景

さて、このような事態が一変した時期はおそらく2015年の夏頃であると考えられる。

専門板におけるROMコテの発展は、コテ各々が属する共同体についての批評を盛んに生じさせ、それにより包括的な視点からそれら共同体について批評することも可能になった。
また、各共同体の可視化は相互の関係性の――好転したとは限らないが、少なくとも――深化をもたらした。(可視化は、特定の共同体における特定のコテの意思の如何を問わず、いわば強制的に関係を深化させるものだった。)

時を同じくして、コテの主要な活動板であるニュー速VIP板では、連邦議会*2を経て、コテ雑である通称『魚群』が設立された。
それ以前のVIPにおいては拓也軍団スレが実質的なコテ雑の役割を担っていたが、やはり軍団の名を冠していることと中心コテの風聞もあってか、普遍的なコテ雑という存在までには至っていなかった。
そんな中での『魚群』設立である。初代スレッドタイトルに不干渉・傍観を謳った『魚群』はその思いも虚しく灰燼に帰すことになるのだが、
拓也軍団の流れを多少汲みつつ(軍団員の存在を許容しつつ*3)、本格的な雑談を行うことに成功したことは、
残存していた様々な垣根を取り払って、各コテの中に『コテ界隈』という言葉を定着させることに大きく寄与した。

現状

その後も多種多様な共同体は存在し続けているが、もはや『コテ界隈』は一種の流行語であり、この言葉がコテの口から発せられない日はない。

 

なお、冒頭で「コテ界隈という言葉の初出は2015年、云々」と書いたがよくよく調べてみると、その年の7月19日にコテハン界隈』という言葉を含んだ書き込みが見られた。*4
これにより冒頭の約250字は無駄なものになり、書くのに費やした時間もほとんど無駄なものになった。だがさすがに消すのには忍びないのでそのまま記事にすることにする。

*1:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1441778224/130

*2:界隈の概念化(?)に影響した可能性有

*3:酒スレ系統のスレと魚群の相違点がそれである。

*4:http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/mog2/1437294891/236

メモ(コテハンキャラクターぶんるい)

コテ界隈には多種多様の、キャラクターを備えたコテハンがつねに犇めいている。馴れ合いに興じるコテハンも存在していれば、煽りに花を咲かせるコテハン*1も存在しているし、馴れ合いと煽りの両方を同時に楽しむコテハンもまた存在している。

あくまで仮に、「馴れ合い」一辺倒のコテハン、「煽り」一辺倒のコテハン、そして「馴れ合い」と「煽り」をそれぞれ同程度行うコテハンが存在しているとする。(活動の頻度はすべて同じものとする。)

コテハンの究極目的は「(自己顕示)欲を満たすこと」であるから*2、この究極目的に照らし合わせたとき、一体どのコテが最も「(自己顕示)欲」を満たせるものだろうか?そして、コテハンを付けるにあたって、どのような成分を多く含めたキャラクターを創造していけば、「(自己顕示)欲」をその分より満たせるに至るのだろうか?はたまた、コテハン個人がどう試行錯誤しようが、結局は掲示板の大多数を占める名無しが重要になってくるので、それは無駄ということになるのだろうか?*3

*1:これらは、必ずしも、コテハンのキャラクターという観点から見た際には、逆、反対の系統のコテハンとされるわけではない。逆、反対の系統のコテハンとしてこれらのコテをみたとき、たとえば馴れ合いコテハンを、「雑談に興じるコテハン」だとして、本来の「馴れ合い」の定義である「利害を共にする同士が結託して、通常取るべきとされる手続きを踏まず、暗黙の合意の元に意思決定を行うこと」、すなわち「暗黙の合意が図れるような環境において(またはそのような環境を別に設けて)雑談をするコテハン」としないのであれば、それに対する煽りコテハンは、「雑談に興じるコテハン」の逆、「煽りに興じるコテハン」ということになる。だがしかしそれぞれのコテハンは、これら表面上しかなぞっていないように感じられる設定に、完全に即しているはずがない。では、馴れ合いコテハンを「暗黙の合意が図れるような環境において(またはそのような環境を別に設けて)雑談をするコテハン」とするのであれば、それに対する煽りコテハンは「暗黙の――環境になく、(別に設けることもなく)煽りを行うコテハン」ということになる。しかしこのようなことに純然なコテハンがはたして存在し得るのだろうか?もちろん「馴れ合い」の対義、「緊張感を保った・殺伐とした関係」において雑談をしているコテハンは、その意味からして、「馴れ合いコテハン」とは見做されないだろう。しかし?それで「煽りコテハン」と認められるかというと――「馴れ合い」と「煽り」は反対の関係になく、むしろ全然別系統にある。漠然とこれらの系統にコテハンを所属させ、「そのコテハンたちを対義のものとして捉えること」は避けた方が良いようにも思える。ここではあくまで「興じる」「花を咲かせる」とした。

*2:2chコテハンWikipedia的存在であるVikipediaの一記事に、コテを付ける意味、と題されたものがあり、そこには「コテハンは一種のしおりである」、とするコテハンしおり説が記されている。これはおーぷん2chにおいて散見される、「自分の書き込みの質を高めていくため」とか「自分の書き込みに責任を持つため」とかいう主張に類似したものであり、様々な匿名掲示板においてこれらの主張は為されてきたものと考えられる。これもやはり一説として尊重されるべきものである。だが、多種多様のコテハンに――「ネタコテの場合、自分が立てた過去の糞スレを探して結果考証する必要」のあること、そして「煽りコテ同士の煽り合いの場では、トリップやコテハン名で過去ログを掘り起こし、矛盾や弱点をあぶり出す必要」のあること――このような必要があるのは何故なのだろうか?それは彼らが「ネタコテ」または「煽りコテ」として存在していくために他ならない。では何故彼らは「ネタコテ」または「煽りコテ」として存在していかなくてはならないのか?それは彼らが――――。よって、ここでは一応、「究極目的」として「欲を満たすこと」と設定した。

コテハンしおり説は、「固定ハンドル」という機能自体がどのような働きを見せるかということ、そしてこの「働き」によって「名無し」が不快感を覚える理由について、明快に説明している。(あくまで想像だが、コテハンに対して覚える不快感において、名無しには、「コテハン機能」、およびそれを見かけた際に瞬間的に思う不快感と、次に思う「コテハンを付けている一個人」の、その人間性について覚える不快感の、おおよそ二種類があるように思える。これらの不快感は一緒のものであるのかもしれないが、あくまで想像。)だが、『「固定ハンドル」を付けている一個人』に「名無し」が不快感を覚える理由についての説明は果たせていないように思える。大勢の人間が使う図書館の本にしおりが挟まっていたら――――もちろん利用者はまず、「しおりが挟まっている」という事象に対して不快に感じることだろう。しかしその次の瞬間には――「しおりを挟んだ人」に対してもまた、不快に感じることだろう。……その不快感の程度が、「しおりが挟まっている」という事象に比較して高いものなのか、はたまた低いものなのかということについては、さておき。

*3:おそらくは、名無しが重要なものとして認められるようなコテ界隈である方が良いように思われる。名無しが重要でないということはすなわちコテのみの閉鎖的な界隈において、界隈の持続を図っていかなければならない、ということであり、それには様々な弊害を伴うだろうから。多少短期的な刺激を名無しがもたらそうと、それを許容してコテ界隈側にその名無しを引き込むぐらいの器量がコテ界隈にあっても良いのではないか。刺激の程度にもよるが。

メモ(いうほどキャラ総論か?)

はじめ

コテ各々が、掲示板上においては、現実における性格と、違った性格を保持しているだろうことは明白である。それは、実世界ならびに匿名世界の――二つの世界における、様々な異なる特質に影響されて、それぞれに確立されるものである。

さて、実世界において、時と場合に応じて、自らの性格――キャラを使い分ける、といった事例は、しばしば見受けられるものである。それは、ただ友人関係のみに代表されるものではなく、敬語の使用に際して、つまり目上の人間と接する際にも、見受けられるものでもあり、さらには目下の人間と接する際にも――である。

では、匿名世界の――その一部、掲示板におけるコテ界隈においては、どうだろうか?実世界と同様、キャラの使い分けという事例が、しばしば見受けられるものだろうか?

なか

一つのコテにおけるキャラの使い分け

たとえば、ゴッドブレスの場合。彼はゴッドブレスというコテの下で、様々なキャラを演じている。馴れ合い、煽り、自分語り、自分騙り……これらすべてはゴッドブレスの成せる業であるが、これらはあくまでゴッドブレスという一つのコテにおいて成されていることである。彼のコテ活動は、匿名世界の利点(弱点)を活かして――世間体に構わず行われているため、周囲から様々な面において――それは彼と同系統のコテに関しても同様であるが――憎まれることがある。*1

つまるところ、一つのコテにおけるキャラの使い分けの事例は存在する。しかし、このようにキャラを使い分けていると、前述の通りに、憎まれることが多々ある。

つまり、デメリットは多く――実世界のように、多数のメリットが少数のデメリットを上回っているからこそ(その総量を比較しての結果はともかく)、それが成されるわけではない。自分の知名度――コテにとっての生命線の確保、確立のために成されているわけであって、それを実践するコテは匿名世界の利点(弱点)を十分に認知しているものと言える。ただ、やはり、ゴッドブレス系統のコテハンは、第三者によって、彼自身を実世界に紐付けられるだろう可能性が甚だ高く、そして、もしそうなった場合の実世界におけるデメリットは*2、ゴッドブレス系統でないコテハンの場合と比べて、計り知れないものがあるだろう。

――ならば彼系統のコテハンにはならないほうが良いのか。しかしそれでは一気に知名度が上がることも、承認欲求が多く満たされることも無いし、第一、わざわざ特定の可能性を考慮していてはコテ活動なんてそもそも出来ないだろう――。

そこに、堂々現れてくるのが、複数のコテにおけるキャラの使い分け、である。

複数のコテにおけるキャラの使い分け

云々

 

 

*1:このようなコテ活動は、匿名世界においては仕方ないこととして受容される風潮が実際蔓延しているが、この是非についてはともかく。

*2:もちろん匿名世界もといコテ界隈でもデメリットは存在するだろうことになるが

メモ(ファッション云々コテについて ゴッブレ関連)

ガイジコテ自身は認識する(してくれる)客体が(い)ないとそもそもガイジとしては成り立たないわけじゃん
そして現に客体は存在してるわけじゃん
ということは元来それなコテは普通のコテの云々の場合のみだからともかくとして
それを演じてるコテに関しては普通のコテの云々の場合に加えてガイジだという認識もセットでされざるをえないんだから
この時点で当たり前だけど演じてるコテもすなわちガイジとして認められるわけじゃん
その客体における共通認識もとい前提認識を覆すことは一般的には相当難しいわけなんだからファッションガイジがチラチラ本性見せたところでそれはほぼ用を成さない行為なわけじゃん
だからゴッブレみたいに一気にガバガバに曝け出すことで結果的にファッションだとして認められ(ようとす)るコテが一定数存在し続けてるんじゃないかなあとおもった(小並感

メモ(瞬発力について)

「コテの真髄を極めた感じがしてつまらない」

「完璧ではないなにかを達成してしまった」

何となく理解できそうで難しい*1この瞬発力の言葉について。

「完璧ではないなにか」というのはおそらく自分の保つ「キャラクター」のことであり、これの「真髄を極めた」ところでコテ的に完璧とされる境地には程遠い*2のだろうが、少なくともこれの「真髄を極めた」時点で「完璧ではないなにか」は「達成」していることになる。瞬発力自身が「自分で自分のキャラクターを最高峰に至らしめること」を「達成」した場合に限り、「完璧ではないなにかを達成してしまった」という文章が書き込めるのである。そして、繰り返すが、そのことはすでに「達成」されてしまっているので、先に述べた場合が、現に起こっているということになる。

瞬発力は自身が保ち続けたキャラクターの真髄を極めたので、彼はコテをつまらない、と思うようになったのである。

 

 

重複がすごい

 

*1:皮肉ではなくガチで

*2:おそらく誰も到達できない境地

メモ(ROMコテ傲慢定期)

ROM行為に価値を見出すこと自体はべつに止めるべきことではないとは思うが、問題は、その見出した価値がVIPコテ*1の存在価値と比較して見たとき、いったい何処に位置するのかというそれであって、
少なくとも上位に位置はしていないということは確かなんだけども、しかしその点、何か勘違いしているらしきコテが近ごろ散見されるようになってきたので、

勘違いの要因は一体何なのかということを以下で考察していきたい。

その1、高見の見物的なアレからくる優越感的なソレ

はじめに

ふつう、VIP板におけるコテスレには複数のコテが常駐*2していて、それらのコテが雑談やら何やらすることによってコテスレは伸びる。先に述べた「何やら」の部分にはもちろん、ちょっとしたいざこざや、それから少し発展したレスバトルなどが含まれるのだが、

そういう場合、当事者間の主張はきまって熱を帯びているし、スレに居合わせたコテ達も、その熱に影響されてヒートアップするので、コテスレは普段以上の伸び様を見せ、ついには1000にまで到達し、次スレが立ち……というような事態に至ることが、しばしばある。

こういうとき、異様なスレの伸び具合に興味を持ち、自分も歴史の目撃者ならぬ体験者*3になろうと、実際に書き込むことに精を出すコテが、一般的にVIPコテと呼称される存在である。*4

それに対して、異様なスレの伸び具合に興味を持つものの、スレへの書き込みは若干に留め、自スレにおいて粛々と、事の発端からその後の経緯などを纏め、そしてその事案に関して、皮肉やら揶揄やら諦観やらを含めた書き込みを成すコテが、一般的にROMコテと呼称される存在である。*5

すこし誇張して書いてしまったかもしれないが、つまるところ、何か騒動が起こった時にも、容易には動こう(書き込みをしよう)としないが、その騒動自体には興味を持ち、様々に批評するコテがROMコテということである。

そして、動こうとしない要因については、高みの見物をすることで優越感に浸りたいからだというものがおよそROMコテに共通のものとして挙げられる。

また、動ける余地がないから、つまりROMによる情報の纏めと批評を、騒動を体感することに優先して行い、かつこれに余念がないので、それ以外に成し得るようなことが必然的になくなってしまうから、だというものも要因として挙げられる。

以上のような(ROM)コテの場合は、あくまで騒動を体感*6することも可能である。

しかし、例外中の例外として、自ら、VIP板から半永久的に退くと宣言した後に、他板にスレを立て、そこにおいてROM行為を行うコテも存在する。そのようなコテの場合は、自らの宣言によって、騒動を実際に体感する機会すら与えられないので、単にROM行為を行うことしかできない。かわいそう。

 

 

 

*1:云々

*2:定義云々は置いておく

*3:意味的なアレは軽視しとけの精神

*4:マジなのですか?

*5:ROMコテゴミクズ定期

*6:体感ってなんだよ

メモ(某瓶関連)

メモ(引用はWikipedia

これらの用語は日常語の「利己」のように行為者の意図やもくろみを表す言葉ではなく、行動自体をその結果のみに基づいて分類するための用語である。

いけるやん!

 行為者がどのような意図を持っていようとも、行為の結果が自己の成功率を高めるのであれば、それは「姿を変えた利己主義」と考えることができる。

 ん?

行為の結果が自己の成功率を高めるのであれば

 ん?

 自己の成功率を高める

 ん?

成功率

 .ん?

ここでは「利己的」とは「自己の成功率(生存と繁殖率)を他者よりも高めること」と定義される。

 は?(威圧)

52+2 :名無しさん@おーぷん [] :2014/12/23(火) 22:12:49 id:uSD

...

死ぬこと自体は別にデメリットではない
死ぬことによってその後の可能性が失われることがデメリット

...

その後の可能性(繁殖率)なのでセーフ

メモ

自分が死ぬか死なないかを基準に無意識的な行為か利己的な行為かを分類
自分の生存に優先されるような行為は意識的にはなされない、あくまで無意識(反射やら本能やら)のうちになされる
利他的な行為をなそうと意図してそれを実行に移したとしても実際それは自分の欲求に基づく行為なので結局のところ利他的な行為とは認められない
対して利己的な行為はガチればガチるほどガチガチのガチになれる