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O2観察記

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  1. ROMコテについて(編集中)

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  1. 某猫某重大事件について

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メモの類は編集中

日刊独り言 12月1日 (途中)

レイマンの「昔良定期」を追う

そもそも誰?

(´ω`スレイマン)◆SUREIMANMTBS は、元流浪のインキュベーター、元夜は短し歩けよオタク、元アッカリーン、元マギー、元八百屋*1。ある騒動により引退した(2015年3月15日)彼はその後アッカリーンとして活動を開始(2015年6月)。そして時は彼の「昔良定期」の主な対象になっている「連邦議会」に至る(2015年6~7月)

彼のコテ名の変遷が激しすぎることの原因は前述した騒動にある。詳説は避けるが、それ相応の問題が彼を終始取り巻いているので、彼がコテを付け続ける限り、彼に安息の訪れる時はないだろう。

連邦議会って?

2015年6月12日、「連邦議会」初出*2アッカリーン◆6jfNhtac0s(スレイマンの発言がきっかけとなり「連邦議会」に関する構想が膨らむが、その理想のみが先行して実際の中身について深く掘り下げるような書き込みは成されていなかった。

14日午後、アッカリーンが連邦議会の中身に関する構想を述べる*3。同時にネンドール連邦議会の憲章草案(5章30条からなる)を書き込む*4

21日、アッカリーンの助言を受けつつ、ネンドールが憲章(15章76条)を完成させる。しかし、この憲章は膨大なものであったがために把握している者が作成者本人であるネンドールしか居らず*5、この散々な事態がのちの連邦議会瓦解の引き金となった。他人の精読なしに憲章の内容が通されることをもはや日常茶飯事として受け入れていたネンドールは拓也が就くと見られていた連邦議会議長の権限を極力抑えたりしたが結局は、云々。

25日、アッカリーンが活動休止を宣言。ネンドールに「復帰までの指揮を託す」としたが、連邦議会構想中途でのそれはネンドール含め協力者達を混乱させた。

以後連邦議会構想は停滞し、再び活発化するまでに約一ヶ月を要することになるのだが、……。

週刊コテ界隈 11月30日号 (途中)

死に体のコテ界隈に未来はあるか?  

 死に体(しにたい)は、相撲用語で自力で回復不可能なほど姿勢のバランスが崩れた状態を指す。「体(たい)がない」「体(たい)が死んでいる」ともいう。

Wikipedia

最近ますます寒さが増している。世間はこの時節を初冬と呼ぶ。冬の初め、これからさらに冴えていくことだろう。しかし、世間は初冬だというのに、もうすでに猛烈な吹雪に見舞われている人々が居る。皆さんおなじみコテである。

すさまじい強風に吹っ飛ばされたコテは数知れず、足元がぐらつき宙に舞い上がりそうで気が気でないコテも居れば、冷たい地面に座り込んで談笑するコテも居る。後者はたぶんいくらか感覚が麻痺しているのだろう。顔色の悪さと会話の内容がそれを物語っている。バラックにしか見えない粗末な家屋の中では多くのコテがこれまた談笑している。会話が白熱していくにつれて、彼らは部屋で煌々と燃える石油ストーブの存在を忘れてしまった。中毒の危険に瀕しているが、どのみち換気できるような天候ではない。

大雪のち大雪

西高東低といえば冬型の気圧配置だが、現在のコテ界隈はもっぱらそれの日本海側にあたる。とんでもない寒気がとんでもない季節風に乗ってコテ界隈に続々と降り立っている、まさに目も当てられない現状。世間の名無しから同情を買える域には軽く達しているのではないだろうか。

確かに常日頃からコテ界隈の天候は悪い。むしろ晴れるほうが珍しいぐらいだ。しかしこの雪は尋常ではない。強風を伴うこの雪は、冒頭でも述べたが、コテを次々と吹き飛ばしている。そして「コテが吹っ飛ばされた」という事実に作用を受けた天候は、さらに悪化していく。なんでか。

「コテが吹っ飛ばされた」という事象、もとい界隈からコテが離れることはコテ界隈の減退に直結するし、コテ界隈に暗雲が立ち込めることと同義である。この暗雲は活動気力の低下、いわば気象病を引き起こすので、個人の書き込みの頻度は低下する。そして、しだいに縮小していくコテ界隈の規模に嫌気が差し、ついには界隈から離れていく。つまり、「コテが吹っ飛ばされ」ることの要因は「コテが吹っ飛ばされた」ことにあるのだ。

元凶は何だ

もちろん、一般的なコテ界隈においては、界隈から離れるコテも居れば入ってくるコテも居る。吹っ飛ぶコテより突っ込んで来るコテの方が多ければ、界隈が衰退することは無いだろうし*1、多くの場合より活性化するだろう。しかしこちらのコテ界隈の場合は突っ込んで来るコテが少ないので、当然著しく活性化することはない。そして前述した通りのいわゆる負のスパイラルに陥ったまま、界隈というものが無に帰すまで、延々それが繰り返されるだけ、ということになる。

では、その「負のスパイラル」が生じた元凶は何なのだろうか。

詳細は書け次第順次。

 

*1:コテの質の問題も取り沙汰されているが、そもそも質の高いコテが離れていく要因は(一身上の都合とかいうのを除けば)コテ界隈の衰退にあるだろう。コテにおける質と量の問題についてはまた別に。

コテ界隈について 1

帰属意識の高まりと現状

はじめに

『コテ界隈』という言葉の初出は確かではない。全文検索に掛ければ2015年の9月9日が最古ではある。*1
しかしこの普遍的な言葉がそれ以前に使用されていなかったとは考え難い。だが無理を承知して、上記書き込みを初出と仮定するならば、これは大変興味深い事例である。
上記書き込みは2chコテによって成されたものだからだ。
それも、掲示板を無理に股にかけて、2chにおいてもこちらにおいても生半可なコテと化しているようなコテの書き込みなのではなく、コテ活動において何の混じり気もない、いわば純粋な2chコテの書き込みである。

本題

『コテ界隈』という言葉、もとい概念が持ち込まれたものであるにしても、そうではないにしても、
それが頻繁に使用されるようになって定着したのが比較的最近の(15年下半期)ことであるということは事実である。
何故初出に至るまでの日々の中で、コテたちはその概念を構築することができなかったのだろうか。以下に説を挙げる。

  • 長らく個人あるいは比較的小規模な軍団単位での活動が本位だったから。

コテ雑が広く普及した試しもなければ長期的に続いた試しもなく、小さな世界の中において活動を続けていた当時のコテ達にとっては、
自らの属している界隈といえばその世界のことを指すだけなので、それより枠組みを拡大してコテという属性自体に共通点を見出し帰属意識を持つことは不可能だったということ。

背景

さて、このような事態が一変した時期はおそらく2015年の夏頃であると考えられる。

専門板におけるROMコテの発展は、コテ各々が属する共同体についての批評を盛んに生じさせ、それにより包括的な視点からそれら共同体について批評することも可能になった。
また、各共同体の可視化は相互の関係性の――好転したとは限らないが、少なくとも――深化をもたらした。(可視化は、特定の共同体における特定のコテの意思の如何を問わず、いわば強制的に関係を深化させるものだった。)

時を同じくして、コテの主要な活動板であるニュー速VIP板では、連邦議会*2を経て、コテ雑である通称『魚群』が設立された。
それ以前のVIPにおいては拓也軍団スレが実質的なコテ雑の役割を担っていたが、やはり軍団の名を冠していることと中心コテの風聞もあってか、普遍的なコテ雑という存在までには至っていなかった。
そんな中での『魚群』設立である。初代スレッドタイトルに不干渉・傍観を謳った『魚群』はその思いも虚しく灰燼に帰すことになるのだが、
拓也軍団の流れを多少汲みつつ(軍団員の存在を許容しつつ*3)、本格的な雑談を行うことに成功したことは、
残存していた様々な垣根を取り払って、各コテの中に『コテ界隈』という言葉を定着させることに大きく寄与した。

現状

その後も多種多様な共同体は存在し続けているが、もはや『コテ界隈』は一種の流行語であり、この言葉がコテの口から発せられない日はない。

 

なお、冒頭で「コテ界隈という言葉の初出は2015年、云々」と書いたがよくよく調べてみると、その年の7月19日にコテハン界隈』という言葉を含んだ書き込みが見られた。*4
これにより冒頭の約250字は無駄なものになり、書くのに費やした時間もほとんど無駄なものになった。だがさすがに消すのには忍びないのでそのまま記事にすることにする。

*1:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1441778224/130

*2:界隈の概念化(?)に影響した可能性有

*3:酒スレ系統のスレと魚群の相違点がそれである。

*4:http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/mog2/1437294891/236

メモ(コテハンキャラクターぶんるい)

コテ界隈には多種多様の、キャラクターを備えたコテハンがつねに犇めいている。馴れ合いに興じるコテハンも存在していれば、煽りに花を咲かせるコテハン*1も存在しているし、馴れ合いと煽りの両方を同時に楽しむコテハンもまた存在している。

あくまで仮に、「馴れ合い」一辺倒のコテハン、「煽り」一辺倒のコテハン、そして「馴れ合い」と「煽り」をそれぞれ同程度行うコテハンが存在しているとする。(活動の頻度はすべて同じものとする。)

コテハンの究極目的は「(自己顕示)欲を満たすこと」であるから*2、この究極目的に照らし合わせたとき、一体どのコテが最も「(自己顕示)欲」を満たせるものだろうか?そして、コテハンを付けるにあたって、どのような成分を多く含めたキャラクターを創造していけば、「(自己顕示)欲」をその分より満たせるに至るのだろうか?はたまた、コテハン個人がどう試行錯誤しようが、結局は掲示板の大多数を占める名無しが重要になってくるので、それは無駄ということになるのだろうか?*3

*1:これらは、必ずしも、コテハンのキャラクターという観点から見た際には、逆、反対の系統のコテハンとされるわけではない。逆、反対の系統のコテハンとしてこれらのコテをみたとき、たとえば馴れ合いコテハンを、「雑談に興じるコテハン」だとして、本来の「馴れ合い」の定義である「利害を共にする同士が結託して、通常取るべきとされる手続きを踏まず、暗黙の合意の元に意思決定を行うこと」、すなわち「暗黙の合意が図れるような環境において(またはそのような環境を別に設けて)雑談をするコテハン」としないのであれば、それに対する煽りコテハンは、「雑談に興じるコテハン」の逆、「煽りに興じるコテハン」ということになる。だがしかしそれぞれのコテハンは、これら表面上しかなぞっていないように感じられる設定に、完全に即しているはずがない。では、馴れ合いコテハンを「暗黙の合意が図れるような環境において(またはそのような環境を別に設けて)雑談をするコテハン」とするのであれば、それに対する煽りコテハンは「暗黙の――環境になく、(別に設けることもなく)煽りを行うコテハン」ということになる。しかしこのようなことに純然なコテハンがはたして存在し得るのだろうか?もちろん「馴れ合い」の対義、「緊張感を保った・殺伐とした関係」において雑談をしているコテハンは、その意味からして、「馴れ合いコテハン」とは見做されないだろう。しかし?それで「煽りコテハン」と認められるかというと――「馴れ合い」と「煽り」は反対の関係になく、むしろ全然別系統にある。漠然とこれらの系統にコテハンを所属させ、「そのコテハンたちを対義のものとして捉えること」は避けた方が良いようにも思える。ここではあくまで「興じる」「花を咲かせる」とした。

*2:2chコテハンWikipedia的存在であるVikipediaの一記事に、コテを付ける意味、と題されたものがあり、そこには「コテハンは一種のしおりである」、とするコテハンしおり説が記されている。これはおーぷん2chにおいて散見される、「自分の書き込みの質を高めていくため」とか「自分の書き込みに責任を持つため」とかいう主張に類似したものであり、様々な匿名掲示板においてこれらの主張は為されてきたものと考えられる。これもやはり一説として尊重されるべきものである。だが、多種多様のコテハンに――「ネタコテの場合、自分が立てた過去の糞スレを探して結果考証する必要」のあること、そして「煽りコテ同士の煽り合いの場では、トリップやコテハン名で過去ログを掘り起こし、矛盾や弱点をあぶり出す必要」のあること――このような必要があるのは何故なのだろうか?それは彼らが「ネタコテ」または「煽りコテ」として存在していくために他ならない。では何故彼らは「ネタコテ」または「煽りコテ」として存在していかなくてはならないのか?それは彼らが――――。よって、ここでは一応、「究極目的」として「欲を満たすこと」と設定した。

コテハンしおり説は、「固定ハンドル」という機能自体がどのような働きを見せるかということ、そしてこの「働き」によって「名無し」が不快感を覚える理由について、明快に説明している。(あくまで想像だが、コテハンに対して覚える不快感において、名無しには、「コテハン機能」、およびそれを見かけた際に瞬間的に思う不快感と、次に思う「コテハンを付けている一個人」の、その人間性について覚える不快感の、おおよそ二種類があるように思える。これらの不快感は一緒のものであるのかもしれないが、あくまで想像。)だが、『「固定ハンドル」を付けている一個人』に「名無し」が不快感を覚える理由についての説明は果たせていないように思える。大勢の人間が使う図書館の本にしおりが挟まっていたら――――もちろん利用者はまず、「しおりが挟まっている」という事象に対して不快に感じることだろう。しかしその次の瞬間には――「しおりを挟んだ人」に対してもまた、不快に感じることだろう。……その不快感の程度が、「しおりが挟まっている」という事象に比較して高いものなのか、はたまた低いものなのかということについては、さておき。

*3:おそらくは、名無しが重要なものとして認められるようなコテ界隈である方が良いように思われる。名無しが重要でないということはすなわちコテのみの閉鎖的な界隈において、界隈の持続を図っていかなければならない、ということであり、それには様々な弊害を伴うだろうから。多少短期的な刺激を名無しがもたらそうと、それを許容してコテ界隈側にその名無しを引き込むぐらいの器量がコテ界隈にあっても良いのではないか。刺激の程度にもよるが。

メモ(いうほどキャラ総論か?)

はじめ

コテ各々が、掲示板上においては、現実における性格と、違った性格を保持しているだろうことは明白である。それは、実世界ならびに匿名世界の――二つの世界における、様々な異なる特質に影響されて、それぞれに確立されるものである。

さて、実世界において、時と場合に応じて、自らの性格――キャラを使い分ける、といった事例は、しばしば見受けられるものである。それは、ただ友人関係のみに代表されるものではなく、敬語の使用に際して、つまり目上の人間と接する際にも、見受けられるものでもあり、さらには目下の人間と接する際にも――である。

では、匿名世界の――その一部、掲示板におけるコテ界隈においては、どうだろうか?実世界と同様、キャラの使い分けという事例が、しばしば見受けられるものだろうか?

なか

一つのコテにおけるキャラの使い分け

たとえば、ゴッドブレスの場合。彼はゴッドブレスというコテの下で、様々なキャラを演じている。馴れ合い、煽り、自分語り、自分騙り……これらすべてはゴッドブレスの成せる業であるが、これらはあくまでゴッドブレスという一つのコテにおいて成されていることである。彼のコテ活動は、匿名世界の利点(弱点)を活かして――世間体に構わず行われているため、周囲から様々な面において――それは彼と同系統のコテに関しても同様であるが――憎まれることがある。*1

つまるところ、一つのコテにおけるキャラの使い分けの事例は存在する。しかし、このようにキャラを使い分けていると、前述の通りに、憎まれることが多々ある。

つまり、デメリットは多く――実世界のように、多数のメリットが少数のデメリットを上回っているからこそ(その総量を比較しての結果はともかく)、それが成されるわけではない。自分の知名度――コテにとっての生命線の確保、確立のために成されているわけであって、それを実践するコテは匿名世界の利点(弱点)を十分に認知しているものと言える。ただ、やはり、ゴッドブレス系統のコテハンは、第三者によって、彼自身を実世界に紐付けられるだろう可能性が甚だ高く、そして、もしそうなった場合の実世界におけるデメリットは*2、ゴッドブレス系統でないコテハンの場合と比べて、計り知れないものがあるだろう。

――ならば彼系統のコテハンにはならないほうが良いのか。しかしそれでは一気に知名度が上がることも、承認欲求が多く満たされることも無いし、第一、わざわざ特定の可能性を考慮していてはコテ活動なんてそもそも出来ないだろう――。

そこに、堂々現れてくるのが、複数のコテにおけるキャラの使い分け、である。

複数のコテにおけるキャラの使い分け

云々

 

 

*1:このようなコテ活動は、匿名世界においては仕方ないこととして受容される風潮が実際蔓延しているが、この是非についてはともかく。

*2:もちろん匿名世界もといコテ界隈でもデメリットは存在するだろうことになるが

メモ(ファッション云々コテについて ゴッブレ関連)

ガイジコテ自身は認識する(してくれる)客体が(い)ないとそもそもガイジとしては成り立たないわけじゃん
そして現に客体は存在してるわけじゃん
ということは元来それなコテは普通のコテの云々の場合のみだからともかくとして
それを演じてるコテに関しては普通のコテの云々の場合に加えてガイジだという認識もセットでされざるをえないんだから
この時点で当たり前だけど演じてるコテもすなわちガイジとして認められるわけじゃん
その客体における共通認識もとい前提認識を覆すことは一般的には相当難しいわけなんだからファッションガイジがチラチラ本性見せたところでそれはほぼ用を成さない行為なわけじゃん
だからゴッブレみたいに一気にガバガバに曝け出すことで結果的にファッションだとして認められ(ようとす)るコテが一定数存在し続けてるんじゃないかなあとおもった(小並感